「箱庭のガッコウ」に参加してきました!
小さいころからずっとすきだった本。
それの影響で根っからの活字中毒になってしまったわたし。
やっぱり「ことば」に関する仕事がしたいなあとぼんやり考え始めて、自分でもいろいろと書いてみたり、勉強してみたりしたけど、いまいちぴんとこない…。
せっかくなら思い切って直接誰かに教えてもらうのもいいかもしれないなあ…と思っていたところに「箱庭のガッコウ ウェブ発信講座」というもうまさに!!の出会いをしてしまいました。
「箱庭」というWebメディア自体は前から何度も読んでいて、こういうような徹底したメディア作りはすごく素敵だなあなんて憧れてもいたので、こんな何もわからない状態で行っていいのかと一瞬だけ悩みましたが思い切って飛び込むことに!
講座は全2日間。
1日目は「自分がWEBを使って何を発信したいのか」というところから始まって「誰のために?」「どうやって?」と「箱庭」の例を具体的に挙げながらわかりやすく教えていただいて「じゃあ実際に記事を作ってみましょう」とグループワーク。
わたしが所属したDチームは「季節感」や「箱庭らしい」ことにこだわって「贈り物が多くなりがちな冬の季節だからそれを包むラッピング”紙”をテーマにしよう」というところまで決まりました。
みんなでひとつのものを全くの白紙から作り出すということが久しぶりだったのでもうこの段階からわくわくしっぱなしのわたし。
(文化祭は本番よりも準備段階のほうが楽しいと思う派です。)
その後は全てLINE上でやり取りをしていたのだけどこれが思っていたよりも大変でした…!取り扱うものは決まったけどよくよく考えたら「紙」って範囲広いのでは…!と1日目の最後に詰め切れなかったことをちょっぴりだけ後悔(笑)
ですが「”おいしい”紙」という食べ物をモチーフにしたペーパーアイテムにしましょう!と決まるともうそこからは怒涛の勢いでいろいろなことが決まってゆき、各々作業して、まとめて、直して…。
日曜日の夜に「これでいいのでは!」とチームのみんなで納得できたときは達成感でいっぱいになりました!!
そして迎えた2日目。
どのチームの記事もとても興味深くて、楽しくて今後に役に立ちそうなものがたくさんでした。投票して一位のチームは「箱庭」として掲載していただけるということで結果のときは少しどきどきもしたのですが残念ながら優勝はならず…!
「針供養」をテーマにしたAチームの記事はとっても素敵だったのでやっぱり!とは
思いつつちょっぴりだけ悔しかったりもして…(笑)
ただ、いただけたコメントのなかで「箱庭らしい」という言葉があったので、目指していた部分には少し寄せることが出来たのかな、なんて嬉しくなりました。
それぞれの記事へのフィードバックをいただけたり、その後は「実際に記事を作成したらどうやって知ってもらえばいいの?」ということでSNSの活用法を教えていただいたりとこの日もためになることばかりであっという間に時間が経ってしまいました。
他のチームの方々とは話す機会は作れませんでしたが「WEBを使って仕事をしていこう」と考えている方たちにこんなにたくさんお会いすることが初めてだったのでそれだけでもとても良い時間を過ごすことが出来たな、と思ってます。
説明資料は持ちかえることができたのでたくさんメモを取ってしまいました。まさにガッコウ。
今回の学んだことを早く実践していきたいなー!と今からわくわくしています。
「箱庭」のみなさま、一緒に講座を受けたみなさま本当にありがとうございました!
旅のはじまりとおわりのときのこと
今年だけで何年か分の移動をしたと思う。
いや、まだまだ行きたいところはたくさんあるから「移動溜め」をしたつもりは全然ないのだけど、それにしても、毎日毎日よく移動したなあと我ながら思う。あんなに朝早く起きて、ときには走って、電車に乗って、夜行列車は除いても長いときで4時間、2~3時間なんてざらに移動していたし、移動日でなくても毎日歩き詰めで歩いて歩いて歩いて。
だけど、日本に帰ったいまではすっかり家にこもりきりになってしまった。下手すると100歩も歩いてないのではないだろうか…。旅のことなんてまるでなかったかのようにベッドでごろごろしながらネットを徘徊していたら、どうしても気になる記事を見つけてしまった。
わたしのときはどうだったかな。
わたしがヨーロッパに行きたいと思い始めたのは、多分もう思い出せないくらい小さなころだ。「物語の舞台に行ってみたい」という気持ちからだったと思う。
退職することも、旅に出ることも全部一緒くたで考えていたから、なにが大変でなにがよくあることなのかも特に考えてなかった。だいすきだった職場も何にも現実感のないまま退職して、そのまま引っ越しをして、2年半住んだ土地もあっさり離れた。
飛行機に乗ってどこかへ行く、というのは久しぶりではあったけれど何度もしたことがあったから、ヨーロッパへ行くという特別な実感も特にないなかあっさりと手続きをした。そしていざ、離陸するそのときも、わたしはさえりさんのように何か猛烈な思いをするわけでもなく、「気付いたら寝ていた」というなんとも緊張感のないまま日本を出発した。
こんなに長く日本を離れたのは初めてだったのに。さすがに緊張するのかと思ったのに。なんとも情けない。
そんな情けないスタートから始まったわたしの5週間はスタートと同じようになんとも締まりのないふわふわとした日々だったように思う。
仕事もなく、家もなく、特別な誰かもいない。そうして実生活の何とも繋がっていなかったから、なんにも考えずに飛び出してしまったし、その気持ちはずっとそのまま変わらなかった。
もちろんそのときそのときは必死だった。だけど、今思うとそれのどれもが「夢だったんじゃないかな」と思うくらい現実味がない。
そうしてふわふわと現実感のないままパリで過ごしていた夜、ポン・ヌフを通ったときに、「あ、こわいな」と唐突に思った。
あのときにやっとわたしは戻ってきたんだと思う。
全部なくなってしまって、でもそれは自分の意志でなくしたもので、これからのことがなんにも見えなくて、なんでもできてしまう環境に行くことがとてもこわいな、と思った。本当にやりたいと思っていたことが出来たことって、もしかしたら初めてだったかもしれない。そうしたら、やりたいことが出来てしまったらじゃあ次はどうしたらいいんだろう。
「自由」であることってこわいのかもしれない。なにかが決まっていることってもしかしたら、とっても落ち着くことなのかもしれない。
そんなふうに思いながら、日本に戻ってきて、やっぱり夢だったのかなと思ってしまうような日々を過ごして、だけど、あの「こわいな」と思った瞬間はやっぱりわたしにとって何かが変わるきっかけだったのかなと改めて思う。
単に旅が終わることだけじゃなくて、「夢が叶った瞬間」だったかもしれないし「夢が終わった瞬間」だったかもしれないし、もしかしたら「夢が始まる瞬間」なのかもしれない。どういうふうに捉えることにするのかは、わたしも”27歳“をもう少し見つめて過ごしてからにしようと思う。
ことばの通じない場所をひとりで旅するということ
「英語話せたっけ?」
わたしがヨーロッパに行く話をすると絶対にされる質問。
それくらい、他言語を話すって日本人にとって馴染み薄いもの、関係のないものという認識なんだよなあと今はすごく思う。
あくまでも学校で習う科目のひとつに過ぎなくて、受験が終わったらもうたずさわらなくなる人だってたくさんいる。
たまに道で外国の方に話しかけられたりするだけで、ちょっとした話のネタになるくらい特別なもの。
話せたら便利だよね、必要だよねって思っても、わたしにとって英語と関わることって日々暮らしてゆくなかにおいては全然想像ができないものだった。
だから毎回聞かれる質問の答えは「ほとんど話せない。」
出発するときにわたしが持ってた語学力なんて、本当に本当に最低レベルのフランス語と、あとは義務教育で学んだ遠い遠い記憶の彼方にある英語。
わざわざ海外に、それもひとりで、5週間も行くんだからってちっとも信じてくれなかったけれど、でも本当に話せるレベルじゃなかった。
だけど旅をするって決めたときは、英語が完璧に話せるようになるまで行かないなんてことはちらりとも考えなかった。
それよりもとにかく見たいものがあって、感じたいことがあって、「今だ!」って思うタイミングがあったから飛び込んでみただけだった。
話せなくても何とかなるだろう、いまはスマホもあるんだし、とかなり気楽な気持ちでいたことを覚えてる。
実際に、ただ「旅をする」という面において語学力はそこまで問題じゃなかった。
その国の「こんにちは」「ありがとう」「おいしい」だけ移動中に覚えて、あとは「Can I~」と「I want to~」、「Please tell me~」を駆使して単語を連発する。
これで旅のあいだに困ったことは、ほとんどなんとかなった。
だけど、それではあまりにもつまらなかった。
泊まったホテルは殆どユースホテルだったから、同室にはいつもいろんな国から来た旅人がいて、リビングやキッチンではあちこちで交流会が行われていた。
そこでの言語は専ら「英語」。
わたしも何度も話しかけてもらったけど、質問に短文で答えるのがやっとでこちらから何かを聞くことなんてとてもじゃないけど出来なかったし、答えてもらっても半分くらいしか理解できない。
すごいなあってただぼんやり見ていることしか出来なくてもどかしかったし、曖昧に笑うことしか出来ない自分がはずかしかった。
その恥ずかしさは、段々街中でも感じるようになっていった。
ホテルにいた彼らは旅をするくらいだから、みんな第一言語じゃなくても英語が話せて当たり前だったのかもしれない。
だけどお店の人や、道がわからなくて尋ねた街の人、基本的にほぼみんなが英語で答えてくれる。
こんなに拙くて理解もできてない外国人は、多分、日本人のわたしだけだった。
すごくすごく恥ずかしかった。
そんな気持ちがどんどん膨れてしまって、そうしたらわからないことがあっても誰かに聞くのが嫌になってきてしまって。
どんどん気持ちも下向きになってきて、歩くのも楽しくなくなってきてしまった。
だけどバルセロナに着いてふらふらしてたら、あんまりにも風が気持ちよくて爽やかで、街中がとにかくエネルギッシュであちこちきょろきょろせずにはいられなかった。下を向いているのがもったいないくらいパワーのある街だった。
高速鉄道のチケットも取らないといけないから、無理にでも話さないといけなかったこともあって、こわい気持ちよりもこの街に対する好奇心のほうが勝った。
じめじめした気持ちとはそこでさよならできた。
今はちゃんと文章になんてできない。
今更それはどうしようもない。
だけどわたしはいまあなたに伝えたいことがあるんだ!って単語を並べて、身振り手振りジェスチャーして。
たくさんの人と話してみたかったんだなってそのときやっと気付いた気がする。
うまく話そうって思うから言葉が出ないけど、それでもいいからたくさんの人のことをわたし知りたかったみたい。
吹っ切れてしまったあとは気持ちが楽になれて、最後のパリで6泊したときは同室の子と一緒にエッフェル塔を見に行くことが出来たりしてすごく楽しかった。
拙くてもとにかく頭のなかにある単語を引っ張り出して、やりとりして、伝わって、会話ができて。
そういうことがこんなに嬉しいんだって、学校の授業でもっと知っておけたら良かったな、なんて。
最後は開き直れたおかげで前向きに帰ってこれたけど、でもやっぱりつくづく「英語が話せない」ってもはや致命的だなと思ってる。
日本にいるとそんなこと全く気にならないし、わたしだって戻ってからは実際に一度も英語を話していない。
だけど、行こうと思えば往復で10万円あれば現地に行ける。
話したり、メールでやりとりするだけならいつでもできる。
文化も、常識も何もかも違う人たちと接するってとてつもなく楽しくて刺激的って知ってしまった。
もっともっとたくさんの人とお話しできるようになったら嬉しいから、旅で感じた「楽しい」だけじゃなくて「恥ずかしい」「悔しい」って気持ちもちゃんと忘れないでいようと思う。
ふりかえりの始まり
帰ってきてからなんともうすぐ1か月が経とうとしている…!
思い出を噛みしめて噛みしめているうちに、記憶がどんどん抜けていってしまっているので少しづつ書き出しておこうかと思います。
今回私が旅をしたのはヨーロッパ、9か国15都市。
期間は5週間。
イギリス(ロンドン)、ベルギー(ブルージュ、ブリュッセル)、ドイツ(ケルン、フランクフルト、ミュンヘン)、チェコ(プラハ、チェスキークルムロフ)、オーストリア(ウィーン)、イタリア(ヴェネチア、フィレンツェ、ローマ)、バチカン、スペイン(バルセロナ)、フランス(マルセイユ、リヨン、レンヌ、パリ)
…まあ、落ち着きもなくふらふらとよく回ったなあと思います。
基本的には陸路を使ってぐるりと。
電車に乗っていた合計時間とか計算したらなかなかにお尻が痛くなるのではないかと思います。
荷物は20㎏弱のスーツケースとサブバッグ。
スーツケースの中はお土産用に1/3くらい空いてました。
総資金としては、先日クレジットカードの明細が届いたのでざっくり計算ですが、現金で持っていった分と合わせて60万くらい。
これはまあ予想内の金額だったので、そこまで無茶なお金の使い方はしなかったと思います。
病院に行くような病気や怪我もなく、警察や大使館に駆け込むような事件や事故にも巻き込まれず、ちょこちょこ冷や汗をかき、ちょっとした風邪とすり傷を負って無事に帰ってきました。
旅してわかったことは、ヨーロッパは夢の国じゃなかったこと。
わたしがずっと憧れていた特別な場所は、誰かにとっては当たり前の「生活する場所」だったこと。
そのなかでわたしも駆け足ではあったけど、毎日ただひたすらに歩いて歩いて歩いて、いろんな国のいろんな人の生活をのぞき見て、聞いて、感じていました。
イヤホンもはめず、地図を見るのも最小限にとことん迷子になろうって決めて好奇心の赴くままにとにかく歩きました。
この5週間は「無駄じゃなかった!」って誇れる何かになるのはまだ先のことかもしれないけど、でも「楽しかったーーー!」って帰ってこれたからとりあえずは良しとしようかと思ってます。
退職して、引っ越して、旅からも帰ってきて、本当に空っぽになってしまって、今はさてこれからどうしようかな、とぼんやり過ごしている毎日です。
次はどこの国に行こうかな。
夢の国って言われてもいいよ
小さい頃から本がすきで、いつでも本がそばにあって、
なかでも冒険ファンタジーがいちばんすきだった。
父親がゲーム好きだったからか隣でよく見ていて、父の真似がしたくて同じようにRPGの世界で冒険した。
舞台はいつだっていわゆる"ヨーロッパの街並み"だった。
石畳が広がって、レンガ造りの三角屋根の建物が並んで、遠くにはお城があって。
いつかわたしもそのなかを冒険できたらって小さい頃はいつでも入り口を探してた。
大きくなった今でもあの世界は変わらずわたしにとって憧れで、風景そのものが魔法で、きらきらしてる。
だから、今でもほんとは信じていないんだと思う。
わたしが思い描いてる街並みで建物で、魔法なんかじゃなくて、当たり前に人が生活してるってこと。
写真やガイドブックはたくさんたくさん見たけれど、それでもまだ信じきれてない。
ぜんぶまるごと夢の国なんだよって言われてもああやっぱりそうだよねって多分納得してしまう。
そんな憧れて憧れてやまない場所。
実在するんだなあってたぶん何度も何度も思うと思う。
もしかしたらがっかりもするかもしれない。
だけど、とにかくずっと憧れていた場所に行けるということ。
わたしの人生のなかの、夢が叶う瞬間に立ち会えるのはわたししかいないんだから、感性おっ広げてぜんぶぜんぶ受け止めてきたいと思う。
出発は、明日です。