『魔女の宅急便 その3』
みんなが知ってる魔女の宅急便。
だけど、このおはなしが実はシリーズものだということってそこまで知られていないような気がします。
元々、連載ものということもあり短編形式。
それが集まって全部で第6巻まであります。
一巻ずつキキちゃんが成長していく姿が描かれているのですが、今回わたしがご紹介するのは第3巻。
「魔女の宅急便その3 キキともうひとりの魔女」
16歳になったキキ。
コリコの街にも、宅急便の仕事も、第2巻から始めたくしゃみの薬づくりにも少しずつ慣れてきたところです。
そんなところになんでも出来ちゃう自信たっぷりの小さな女の子があらわれます。
魔女のしるしってなんなの?
変わらないことってそんなにえらいことなの?
と、キキがこれまで正しいと思って過ごしてきたものをくるくると惑わしていきます。
例えば、魔女はひとつの街に1人しかいちゃいけないという教え。
わたしがいたいんだからそんなのどうでもいいの、と、けろっとした顔でどんどん街に馴染んでいってしまう姿にキキは不安になっていくんですね。
それから、とんぼさんへの気持ち。
自分でも自分の気持ちがわからないのにじくじくする気持ちばっかり膨らんでどうしようもなくなっちゃう。
わたしはここにいていいのかな、いる必要があるのかな。
自分にどんどん嫌気がさして落ち込んでいっちゃう。
負のループから抜け出せなくなってしまうことって誰にでもあって。
でもキキはみんなに明るくて元気な魔女さんって特別な存在だって思われてる。
自分でもそんな自分でありたいから、余計に苦しくて。
「人ってときどき、ゆううつと仲良くなりたがるのよね」って。
そんな風に言われてしまって。
そんなことないって思うのに、それすらどうしたらいいかわからなくなってしまう。
自分を見失っていってしまうキキに思わずずきずきはらはらしちゃいます。
だけど、最後にキキはやっと自分のことを取り戻すのです。
少し荒療治な気もするけど、自分は自分でそれは絶対に確かなことなんだってわかるときは少しほっとします。
「魔女の宅急便」はただのかわいい魔女っ子さんのおはなしなんかじゃない。
魔女だって普通の女の子で、普通に悩んで苦しんで前に進んでいかないといけないんだなあというのが感じられるおはなしです。
映画のなかでは曖昧だったとんぼさんとの恋も物語のなかでちょこっとずつ進んでいくところも楽しめるかも。
少し真面目で頑固でとっても頑張り屋さんなキキのことが凄く愛おしいし、ずっとそばにいる哲学屋なジジがむちゃくちゃ可愛い。
わたしに小さな子供がいたら毎日一話ずつ読み聞かせしたいなあとまだかけらも予定のない未来を思いを馳せてしまうだいすきなお話です。
魔女の宅急便〈その3〉キキともうひとりの魔女 (福音館文庫 物語)
- 作者: 角野栄子,佐竹美保
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2006/10/20
- メディア: 文庫
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"やりたいことしかしたくない"
『ともみとさえりの旅と本作りの話』に行ってきました。
これはただの感想文です、レポじゃないです。
発表された瞬間、一度お会いしてお話を聞いてみたかったお二人にいっぺんに会えちゃうなんて、とどきどきしちゃうくらい魅力的だった。
ただ、こういうタイプのイベントに行くのは初めてだったので、正直、凄く凄く凄く悩みました。
だけど、いま聞いておかないでどうするの!!と悩んだ挙句、結局はお酒の勢いでぽちっと。
あのとき、酔っ払ったわたしに大感謝。
えらいぞ。
そわそわしながらうろうろして、念のためちっちゃなノートとペンなんて用意しちゃったりなんかして、でも始まる前からおふたりが出たり入ったり準備していて、なんていうか、「普通」なんだなあと、凄くほっとした。
旅がしたい。
ことばを使った仕事がしたい。
そう考えてるわたしにとって話の内容ぜんぶが刺激的だった。
たくさんたくさん考えてしまうから、旅に出るのも何かを綴ることすら、やりたいと思うこと全部に対して構えてしまう自分がいるんだけど、そんなの必要ないのかも、と背中を押された気分。
というか昔はもっとそんなこと考えないで旅に出てたし、行動してたよ。
話しの中で伊佐さんが「『孤独でなければ』って思っていた」と話されていた言葉、とても刺さりました。
わたしは昔から環境に馴染んで慣れて仲良くなってしまうといつも"居心地が良くなってしまったから早くここから去らないと"って焦燥感に襲われていたのって『孤独でなければ』って思っていたからなのかな。
東京で生まれ育ってしまったわたしは無意識にここならなんでも埋めてしまえるってわかってしまっていたのかもしれない。
それがこわくて知らず知らずのうちに逃避したがっていたのかな。
居心地が良いならそれで良いじゃないって打ち明けた友達には言われたけど、違うんだよってあのときはうまく説明できなかったけど、でもずっともやもやしていた気持ちが伊佐さんのおかげでなんとなくかたちになった気がして嬉しかった。
ひとのことをもっと知りたいし、わかりたいって思って、でもなんだかうまくいかなくて、自分の殻に閉じこもってしまって、閉じこもってしまうことをいいやって思ってたけど、わかんなくてもいいやって最近は思えてることとか、
話を聞いていて、わかる…と何度も頷いてしまうくらい同じだと思うことがたくさんあった。
同じだなんて言うことがおこがましいくらい立っている土俵はあまりにも違うけど、それでもおふたりが話してくださった内容がわたしが持っている気持ちととても似ていて、わたしが、いいなやりたいなこうでありたいな、と思ってることをもうすでにしている人たちがいるという事実に、凄く感動したし、安心したし、刺激になったし、ちょっぴりの悔しさもあった。
少し時間はかかるかもしれないけど、わたしもいまやりたいって思ってること臆さないでがんがんチャレンジしていきたいし、叶えていきたい。
結局全部は無理なんだよね、ないものねだりしちゃうんだよね、とお話していたけど、たぶん、たくさん経験して努力してのそれだから、何にもできてないし何にも手に入れてないわたしはまだ言ってもいいかな。
ほしいもの、ぜんぶほしい。
もっと貪欲に生きる。
いつか並んでお話が出来たら。
電車の時間があったから最後までいられなかったのだけど、帰る直前にさえりさんがサイン待ちをしているみなさんを眺めてらしたので、思わず気持ちを一方的にぶつけてしまって、いっぱいいっぱいすぎて何言ってるか多分わかんなかったと思うけど、にこにこ聞いてくれてお話ししてくださって、帰りの電車で羞恥心で悶え狂いました。
なんで握手を求めたのかわかんないけど(ごめんなさい)ふわふわだった。
勇気を出して行って見て本当に本当に良かったです。
ありがとうございました。
『ペギー・スー 魔法の瞳をもつ少女』
久しぶりにこの本を手に取ったとき、この本は果たして子供の時に読んだときにここまで楽しめていただろうか、と思わざるを得なかった。
あのときにここまでぞくぞくして、でもページを繰ることすらもどかしいほど続きが気になるくらい楽しめていたかしら…。
どこの児童書のコーナーにも置いてあるくらい有名なシリーズ。
これは大人が読んでも絶対にドキドキぞわぞわしちゃえる良質なファンタジーだと思う。
〈見えざる者〉を見てしまう能力を持ってしまったかわいそうなペギースーという女の子のおはなし。
どこにいてもこの能力のせいでまともに生活することができない、誰にもわかってもらえない苦しみを1人で抱えて生きている。
シリーズものだが、最初は村に出てくる不思議な太陽をきっかけに始まる。
一度知ってしまった能力をもう一度、と思ってしまうのはいけないことなのだろうか。
ほんの僅かな時間だけ、と、危険なことなんだ、と、わかっていてもそれでもまたあの時間が訪れるならと動いてしまう村人たちを見て一概に愚かなことだと思えなかった
末路がわかっていても、わたしならどっちにいってしまうかな、とつい考えてしまった。
しかし待っている危険は人間たちに害を為す、なんてところでは到底終わるはずもなく…。
今の自分がこうして普通に食べ生きて生きているこの環境がひっくり返ってしまったとき、無力さに気付いたときの絶望感。
どうしようもなかったじゃん、だからもう許して、と現実逃避してしまいたくなるくらい閉鎖感。
じわりじわりと世界がおいつめられていく描写がとても緻密で、冷や汗がでてしまう。
大人たちが死に物狂いで子供たちを襲うシーンが読んでいて泣きそうになるくらい切実だ。
しかし彼らが人間と同じように振舞い支配しようとするくだりは恐怖もありつつどこか物悲しい。
同じ服を着て同じ仕草をして、しかしそれはやっぱりまったく同じようには出来なくて。
それは当たり前なんだけど、でも、それをすることで同等、あるいは上に立つことだと信じている。
その姿はどこか滑稽でやるせない。
この作品の面白いところはとにかく圧倒的なめまぐるしさ。
次から次に危機が襲ってきて、村として一応の解決は見せるものの、そもそも根本の〈見えざる者〉たちについてはこれっぽっちもわかっていない。
ただただ過ぎ去っただけ。
そこが恐ろしいし、続きを読まなくちゃと思わせる。うまい。
ペギースーは本当に普通の女の子でいたいだけなのに、人とほんの少し違う力があるだけで勇敢にならなくちゃいけないし、危険な目に合わなくちゃいけない。
分かり合える仲間がいるわけでないのでどんなところにでもひとりで飛び込むしかない。
それが読んでいてなんだか悲しくなってしまう。
ぎりぎりと苦しい話ではあるけど、最後のシーンはこれからのペギー・スーを少し心強くさせるものであるから読んでいてほっとする。
遭わされる危険がどれも本当にスリリングで、安心して躊躇なく物語に没頭できるシリーズ。
はらはらどきどきをお好みを方なら自信をもっておすすめします。
- 作者: セルジュブリュソロ,町田尚子,Serge Brussolo,金子ゆき子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2002/07
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ことばを
ことば、がすきです。
文章、がすきです。
本、がすきです。
ずっとずっとすきでした。
気付いたときにはそばにいたんです。
家の近所に図書館があって、当たり前のように毎週通って、日が暮れるまでこどもコーナーで読んで、閉館時間でどっさり借りて、絵本って大きさがまちまちだし大きなものはバックのなかには入らないから両手でだっこしながら歩いて帰って、母に「ごはん食べなさい」「お風呂入りなさい」って怒られるまで読み続けて、眠くなるまで布団に潜って読みふけってました。
外で遊ぶのもだいすきだったけど、本を読むことがもっともっとだいすきな子どもでした。
年をとって、本を読むってこと以外にもたくさん面白いことを知ったし、飽き性だからすきなものもころころ変わったけど、これだけ長くすきでいるものはないです。
仕事、としての選択肢に「ことば」や「本」を入れたことはいままでなかったのだけど、ずっとたずさわっていきたいものは?わたしはこれをしています!って胸をはって言いたいものは?わたしが思う"楽しい"に最も忠実でいられるものは?ってここ何年か自分にたくさん問いかけ続けた結果、いま、やっと少しずつ見えてきた気がします。
やっぱりわたしはいままでずっとすきだったものにもっとふれていたいです。
いますきって思えてるいろんなもの、ぜんぶまとめてずっとそばにいてほしい。
わたしが楽しい!って思ってるものを他の人も同じように楽しい!って思ってるって知りたいし、楽しい!って思ってもらえるようになったら嬉しい。
そんなふうに生きていきたいです。
楽しいに忠実に生きるために、ほしいものをほしいとおっきな声で言えるように。
ちゃんと手に入れられるように。
「ことば」にして残していけたらいいな、と思ってます。
見ていてくれたらうれしいです。
よろしくお願いします。
『魔法使いはだれだ』
- 作者: ダイアナ・ウィン・ジョーンズ,佐竹美保,野口絵美
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2001/08/29
- メディア: 単行本
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わたしが最も敬愛している作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズ。
ジブリがハウスを映画化したことで日本でも知られるようになったけど、彼女の作品のなかでは「魔法使いハウル」よりも「クレストマンシーシリーズ」がいちばん多く書かれています。
この作品はわたしが初めてダイアナ・ウィン・ジョーンズに出会った作品です。
「魔法」というものが確か存在はしているが「違法」になっている世界の寄宿学校が舞台。
もうね、「寄宿学校」というだけでわくわくしませんか?
ほとんどの日本人は寄宿学校というものにはあまり馴染みがないと思うのです。
物語の中でしかお目にかかれない「寄宿学校」。
何かが起きちゃいそうな妄想が捗りまくります!
話はナン・ピルグリムとチャールズ・モーガンの目線で語られていきます。
ナンは生徒のことを「本物」と「まがいもの」「それ他」そしてどこにも属せない子たち、と分けて表します。
ふたりともクラスのなかでははみだしもの。
つまりどこにも属せない子。
最悪だけどそれが普通、という毎日を送っています。
そんななかで「このクラスに魔法使がいる」と書かれたメモが見つかります。
絶対のタブーである魔法のことにふれたものがいて、さらに魔法としか思えないようなことが次々と起きてクラス中が揺れに揺れる…というはなし。
メモが見つかるところから始まる話ですが、見つかったメモのことはメインであるはずの生徒たちは知らないんですね。
メモで右往左往するのは先生方。
生徒たちからすると先生って絶対的な存在じゃないですか。
だけど、先生たちだって聖人君子じゃない。
恋もするし利己的だし自分を守るためならどうとでも振るまう。
学園物でこんなに先生が人間臭く描かれるかあ、という面白さ。
というか、この作品は「魔法使い」ものという完全に夢あふれるわくわくジャンルなのに登場人物たちが人間臭すぎる。
そこまで?と思ってしまうくらいにみんな自分のことしか考えていない。
そのためにもう収拾がつかなくなって、逃げ出したその先、はなしの三分の二を過ぎたあたりでやっとシリーズの中心人物クレストマンシーが登場する。
ここからのジェットコースターのような話の目まぐるしさが最高に気持ちよいのだ。
これがダイアナ・ウィン・ジョーンズの醍醐味ともいえるのだが、後半まで焦らされているかのように積み重ねてきた、ありとあらゆる描写をすべてぐるんっと混ぜ込んで勢いよく終盤に向かっていく。
三分の二はこの子たちの目線で読んでいたのにも関わらず、あまりにも自分勝手な言い分をクレストマンシーがやり込めるシーンはついすっきりしてしまう。
メモを書いたのはいったい誰なのか。
魔法使いは誰なのか。
それから、読んでいくうちに感じるちぐはぐさ。
それはいったいなぜなのか。
謎解き要素もありつつ、魔法が出てくる非現実的なわくわくさもありつつ、10代の子供たちのうずうずしてしまう懐かしさも楽しめるおはなし。
「ファンタジーの女王」と言われるダイアナ・ウィン・ジョーンズの世界にどうぞ浸ってみてください。