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よるにゆるりと

黒とか白とかグレーとか

『魔法使いはだれだ』

 

魔法使いはだれだ ― 大魔法使いクレストマンシー

魔法使いはだれだ ― 大魔法使いクレストマンシー

 

 

 

わたしが最も敬愛している作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズ

 

ジブリハウスを映画化したことで日本でも知られるようになったけど、彼女の作品のなかでは「魔法使いハウル」よりも「クレストマンシーシリーズ」がいちばん多く書かれています。

 

この作品はわたしが初めてダイアナ・ウィン・ジョーンズに出会った作品です。

「魔法」というものが確か存在はしているが「違法」になっている世界の寄宿学校が舞台。

もうね、「寄宿学校」というだけでわくわくしませんか?

ほとんどの日本人は寄宿学校というものにはあまり馴染みがないと思うのです。

物語の中でしかお目にかかれない「寄宿学校」。

何かが起きちゃいそうな妄想が捗りまくります!

 

話はナン・ピルグリムとチャールズ・モーガンの目線で語られていきます。

ナンは生徒のことを「本物」と「まがいもの」「それ他」そしてどこにも属せない子たち、と分けて表します。

ふたりともクラスのなかでははみだしもの。

つまりどこにも属せない子。

最悪だけどそれが普通、という毎日を送っています。

 

そんななかで「このクラスに魔法使がいる」と書かれたメモが見つかります。

絶対のタブーである魔法のことにふれたものがいて、さらに魔法としか思えないようなことが次々と起きてクラス中が揺れに揺れる…というはなし。

 

メモが見つかるところから始まる話ですが、見つかったメモのことはメインであるはずの生徒たちは知らないんですね。

メモで右往左往するのは先生方。

生徒たちからすると先生って絶対的な存在じゃないですか。

だけど、先生たちだって聖人君子じゃない。

恋もするし利己的だし自分を守るためならどうとでも振るまう。

学園物でこんなに先生が人間臭く描かれるかあ、という面白さ。

 

というか、この作品は「魔法使い」ものという完全に夢あふれるわくわくジャンルなのに登場人物たちが人間臭すぎる。

そこまで?と思ってしまうくらいにみんな自分のことしか考えていない。

そのためにもう収拾がつかなくなって、逃げ出したその先、はなしの三分の二を過ぎたあたりでやっとシリーズの中心人物クレストマンシーが登場する。

ここからのジェットコースターのような話の目まぐるしさが最高に気持ちよいのだ。

これがダイアナ・ウィン・ジョーンズの醍醐味ともいえるのだが、後半まで焦らされているかのように積み重ねてきた、ありとあらゆる描写をすべてぐるんっと混ぜ込んで勢いよく終盤に向かっていく。

 

三分の二はこの子たちの目線で読んでいたのにも関わらず、あまりにも自分勝手な言い分をクレストマンシーがやり込めるシーンはついすっきりしてしまう。

 

メモを書いたのはいったい誰なのか。

魔法使いは誰なのか。

 

それから、読んでいくうちに感じるちぐはぐさ。

それはいったいなぜなのか。

 

謎解き要素もありつつ、魔法が出てくる非現実的なわくわくさもありつつ、10代の子供たちのうずうずしてしまう懐かしさも楽しめるおはなし。

 

「ファンタジーの女王」と言われるダイアナ・ウィン・ジョーンズの世界にどうぞ浸ってみてください。