よるにゆるりと

本をよむこととふらふら歩くことがすきです。

旅のはじまりとおわりのときのこと

今年だけで何年か分の移動をしたと思う。

いや、まだまだ行きたいところはたくさんあるから「移動溜め」をしたつもりは全然ないのだけど、それにしても、毎日毎日よく移動したなあと我ながら思う。あんなに朝早く起きて、ときには走って、電車に乗って、夜行列車は除いても長いときで4時間、2~3時間なんてざらに移動していたし、移動日でなくても毎日歩き詰めで歩いて歩いて歩いて。

 

だけど、日本に帰ったいまではすっかり家にこもりきりになってしまった。下手すると100歩も歩いてないのではないだろうか…。旅のことなんてまるでなかったかのようにベッドでごろごろしながらネットを徘徊していたら、どうしても気になる記事を見つけてしまった。

 

www.gentosha.jp

 

わたしのときはどうだったかな。

 

わたしがヨーロッパに行きたいと思い始めたのは、多分もう思い出せないくらい小さなころだ。「物語の舞台に行ってみたい」という気持ちからだったと思う。

 

退職することも、旅に出ることも全部一緒くたで考えていたから、なにが大変でなにがよくあることなのかも特に考えてなかった。だいすきだった職場も何にも現実感のないまま退職して、そのまま引っ越しをして、2年半住んだ土地もあっさり離れた。

 

飛行機に乗ってどこかへ行く、というのは久しぶりではあったけれど何度もしたことがあったから、ヨーロッパへ行くという特別な実感も特にないなかあっさりと手続きをした。そしていざ、離陸するそのときも、わたしはさえりさんのように何か猛烈な思いをするわけでもなく、「気付いたら寝ていた」というなんとも緊張感のないまま日本を出発した。

 

こんなに長く日本を離れたのは初めてだったのに。さすがに緊張するのかと思ったのに。なんとも情けない。

 

そんな情けないスタートから始まったわたしの5週間はスタートと同じようになんとも締まりのないふわふわとした日々だったように思う。

 

仕事もなく、家もなく、特別な誰かもいない。そうして実生活の何とも繋がっていなかったから、なんにも考えずに飛び出してしまったし、その気持ちはずっとそのまま変わらなかった。

 

もちろんそのときそのときは必死だった。だけど、今思うとそれのどれもが「夢だったんじゃないかな」と思うくらい現実味がない。

 

そうしてふわふわと現実感のないままパリで過ごしていた夜、ポン・ヌフを通ったときに、「あ、こわいな」と唐突に思った。

 

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あのときにやっとわたしは戻ってきたんだと思う。

 

全部なくなってしまって、でもそれは自分の意志でなくしたもので、これからのことがなんにも見えなくて、なんでもできてしまう環境に行くことがとてもこわいな、と思った。本当にやりたいと思っていたことが出来たことって、もしかしたら初めてだったかもしれない。そうしたら、やりたいことが出来てしまったらじゃあ次はどうしたらいいんだろう。

 

「自由」であることってこわいのかもしれない。なにかが決まっていることってもしかしたら、とっても落ち着くことなのかもしれない。

 

そんなふうに思いながら、日本に戻ってきて、やっぱり夢だったのかなと思ってしまうような日々を過ごして、だけど、あの「こわいな」と思った瞬間はやっぱりわたしにとって何かが変わるきっかけだったのかなと改めて思う。

 

単に旅が終わることだけじゃなくて、「夢が叶った瞬間」だったかもしれないし「夢が終わった瞬間」だったかもしれないし、もしかしたら「夢が始まる瞬間」なのかもしれない。どういうふうに捉えることにするのかは、わたしも”27歳“をもう少し見つめて過ごしてからにしようと思う。